保守派、リベラル派
とある街の総合病院で勤務していた私はある出来事が原因で退職することになったのだが、
それに関しては公にはできないことなので伏せることにして。
退職した今ニュートラルな立場で日本の政治的なスタンスに関して考察してみる。
「右や左がなんだってのさ」
「いいとこ取りで!」
くらいのノリで政治的無関心を極めていた私だったが、いざ自分の身に権力問題が降りかかってみると自分の知っている常識や自分の考える正しい、間違っているは超無力であることを痛感した。
そして自分が出た鳥籠を引目で見ていてふと後ろを振り向くと、後ろにまだまだ大きな鳥籠で囲われていることに気づき、自分がどれだけ大きな力によって生かされている、または飼われているかを知り恐ろしくもなる。
私の中で保守派はいわば「超お節介親心団結方式」である。
保守派の中にも「いいとこ取りで!」という考え方の政治家も多くいるらしいが。
保守派とリベラル派の説明はわかりやすい記事があったのでこちらに載せておきます。
いずれにせよ、”自分がよければそれでよし”という保身の考えが横たわっており、それが聖者の行進を生み出しているような気がしてならない。
これに関しては、保守的な教育を受けてきたわたし自身もその社会の風潮を構築している一人に過ぎないと自覚している。
大きな組織の力に守られることに自立や成長、責任感というプラスのイメージを抱いた時期もある。前ならえで一人前にやれてこそ、と。
しかし、そこから一歩踏み外した途端保守派権力の心の狭さの部分も垣間見ることになり日本の政治的な仕組みも他人事ではなくなったのである。
彼らの気持ちの余裕のなさは確たる安定を得たことによって逆にもたらされるものなのか。自分がよければそれでよしは至極全うな感覚でもあり自分もきっと大きな組織の一コマになれば目の前の仕事に打ち込むのみで大きな問題は見えなくなるだろう。
しかし今の私の立場から見ると「問題が起きないのはいいけど、つまんないじゃん」というのが結論だ。
今日とある病院での採用面接で私はまた小さな示し合わせを感じた。
この業界で働いていくにあたり、自分の感覚を鈍らせて監視や敷かれたレールを見ないフリをしてプライベートと仕事は割り切って働いていくのか否かの二つの選択肢を前にしたとき、その違和感に耐えられるのかが気がかりだ。
初対面のコミュニケーションに過敏になっている今、きっと些細な違和感でも見逃せず自分の思う正しいを求めて容赦無く辞めるだろう。
転ばぬ先の杖で全て情報共有しておくのはある面ではいいことかもしれないが、私のように出たとこ勝負、誤解もされるけどその誤解を解いていくことすら楽しみ、と捉えているコミュニケーションに飢えた獣はこの先もきっと生きた本物の「つまるコミュニケーション」を探し求めていくことだろう。
スカイツリー内で北海道の味がいただける四葉直営パフェ店「ホワイトコージ」
確かこれは白いパフェだったかな。
猛烈にソフトクリームを欲していた私を満足させるミルク感でした。
ミルク感で言うと壺屋本店の絹ソフトはうまい。
ロケーションで行くと西興部の海沿いも良き。
どうしても載せたかったコレ。
セブンの全粒粉入りくるみパン🥖
全米クルミ選手権で金賞受賞したんだとか!!
いや、よくわからないけど、そんな感じだったはず。
とにかく美味しかった。