体育会系の根源
なかせんは体育の先生。
なかせんはいつも大体ジャージ。
なかせんは私の担任でもあり恩人でもある。
小学校時代、超性格の悪かった私は割とあっさり仲良しグループからハブられた。
ハブリにハブると、ふと気づいたら自分に回ってきていて。
ご飯は食べれないし、どうやったら楽しく過ごせるのか電気の消えた部屋で椅子にもたれて夜中まで頭を悩ませいた。そんな小5を想像してみよ!切ないぞ、、。
まあ結局そのあとは違うお友達が仲良くしてくれて一命をとりとめたんだけど、クラス替えなどの新しい環境は私にとって緊張するものになった。
なかせんとの出会いは中学1年。
数学のテストの時間。
Y平の隣の席だった私は、テスト中盤おもむろに左をチラ見。なんと、見えるではないか!!
ということで、ジャンジャン写す。
チラチラみてジャンジャン写す。
くっくっく。いやー初の高得点じゃん?
という喜びとやべーこれカンニングだよなー
バレたらやばいなという不安をかかえ
テスト時間が終わるのを過ごす。
もう少しで終わるってときになって、もう一度Y平の方をチラ見。お、あそこもみえる。。
と、みていると、、
フッと目の前に威圧感。
テスト監督だったなかせんだった。
怖すぎて震えた。
なかせんはどんな顔で私のことをみていたのか、今でもわからない。
怖くて顔をあげれなかった。
それはバレた怖さよりも恥ずかしさの方が大きかったかな。自分の中では引っ張る役のつもりで、
いつも褒められていいキャラの自分が、こんなダサいずるをしたことがバレてバツが悪くて。
その時間は恐ろしい時間だったけど、
カンニングで逮捕されるよりはマシだった。
なかせんは1分ほどそこに立っていたけど、チャイムが鳴って教壇に戻っていった。
私は写した答案を消したりもできなかった。
そこからあとの記憶の中のなかせんとの思い出は楽しいことばっかりだからその記憶はどんどん塗り潰されていくんだけど、でもなんだかその出来事は私にとって善悪を植え付けてもらえた機会であり意味のある苦い思い出というか。
まーそのあとも、オイ!って倫理に欠けることはつい最近までやってしまってた私だったけども、
なかせんが教えてくれたそれは、確実に苦い思いを残してくれて、そういうやり方でお灸を据えてくれて。
あのときカンニングを問題にして取り沙汰さなかった気持ちがどういう気持ちだったか、今の自分なら少しわかるから、愛を感じる。
どうやったらこの先の人生でうまいこと徳を積めるだろうかって先生たちは一瞬一瞬自分の言動や判断に情熱を注いでいるんだと思う。
そうであって欲しい。かな
そのおかげで、私の考えもいい方に導く戦後スパルタスタイルに大分偏った部分もあるけど、そーゆー自分の偏りも悪くないかなって思う。いい面もあり、悪い面もあり。これが自分の色になっているのかなと思う。
そんなことがあったのに、なかせんはそのあとも、仲良くしよーって言ってくれてて、全然関係ない自分に。
それが、ありがとうってすっごく思うから、
あのときは397って伝えたい。
今の自分なら何も後ろめたいことなくて胸を張って彼女に会える気がするから。
長くなりましたが。
たまには距離をとって、おいしいもの、食べないとね♪